関西への旅の報告記事その3は、京都の演奏報告でございます。
さすがの「晴れ音心」でも晴天ばかりは続かない・・・と思っていたら、移動する間にみるみるお天気回復。
大阪から京都の車の旅は、浜松から来ているせいかあっという間に感じました。
啄木舎さんに到着したのは9時台(おーい、カメラの人写ってますよ)
りょうこさんはチェンバロに馴染むために到着してからすぐに弾いていました。
そうです、この日は生のチェンバロとオカリナとで演奏できるワクワクする日だったのです。
えんじろうもオカリナ台を用意したりと、ステージ作りに励みました。
お客様をお迎えする準備も整い、あっという間に開場時間でした。
りょうこさんは右側で生のチェンバロを演奏しています。
生のチェンバロとオカリナの音量バランスは最高!非常に相性もよく、心地よい空間になっているのを感じました。
ところがこれを作られたオーナー谷口氏に言わせると、チェンバロは作りによって音量も様々なのだそうです。手作り楽器ならではというか、オカリナと同じなんだと思って嬉しくなりました。
つまりはこの啄木舎サークルのチェンバロは世界でただひとつの声を持ってこの場に生まれてきたことに。
だからここでの音心コンサートは、他の場所ではできないものということ。
改めてひとつずつの「生演奏の価値」というものに向き合った気がしました。素朴なオカリナを扱っているのに、今更感はありますが、続けていると何だかわからなくなりそうになることもあるんです。
今は今しかないこと、楽器と吹き手の心と空間があって成り立つのが音楽。全てが同じ条件で再生されるわけがないのですよね。そこをもっと意識して大切にしたいと感じながら、演奏できた気がしました。
相変わらずですが、しゃべりは全然格好がついていません。
そしてこの喋り方が、どうも小学時代から憧れだった今は亡きお箏の師匠のそれと似ているような気がしてきました。
演奏や曲は宗次郎さんなどに憧れ、トークはお箏の師匠に憧れ、そうかこれが引き継ぐということなのかもしれないなと感じました。
僕のお箏の師匠は本当にまじめに音と向き合い、そしてそれを本当に楽しそうに伝えてくれます。
楽器を前にして子供がじゃれるように楽器と向き合い、最高に美しい音色を探す様子を見せてくれました。
何かを引き継ぐ時、たくさんの自分が好きなものが掛け合わせって自分ブレンドができる。
珈琲もお茶もブレンドってそういうものかも。男女が互いの良いところを尊敬しあって、子供に一部と一部が引き継がれることもそう。
みんなみんな同じ現象のように思えてきます。
・・・何かすごいことに気がついたのかもしれない・・・。
などと思いながら、演奏の後テーブルにあった「食べて良いよ」というたこ焼きを全部平らげてしまいました。
夜は啄木舎のオーナーとお客様の有志の方(笑)とで、夕飯をご一緒しました。
ホテルに付属のレストランで、非常に豪華なお刺身定食を食べて、音楽談義に盛り上がっておりました。
演奏もそれに反応していただけることも幸せです。
更にこんな風に演奏後に楽器や音楽の話を楽しくできることも、これまたとても幸せです。
お客様方も予想以上にチェンバロとオカリナの音色に酔いしれて頂けたようで、CDもたくさん買っていただくことができました。
特にはじめからチェンバロ曲として意識して作った「天使の眠る頃」は、「こっちむいて」のB面曲にも関わらず売れました。本当にありがとうございました。
この「天使の眠る頃」を聴いて涙が出そうな感覚と戦っていたというお話も。
啄木舎様、お忙しい中駆けつけて下さったお客様、本当にありがとうございました。
啄木舎さんとは今後もご縁が続いてゆくと確信しております。
posted by えんじろう at 18:23|
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